麹屋 糀屋の歴史と現状
麹や糀屋の歴史と現状
かつて、明治から昭和の時代にかけて、麹屋は日本の食文化において重要な役割を果たしていました。その主な仕事は、味噌作りに不可欠な麹を売ることでした。農業が盛んで家族構成も大きかった時代には、家庭で一年分のお味噌を生産することが一般的であり、そのためには麹が必要不可欠でした。その結果、多くの村には少なくとも一軒の麹屋が存在していたのです。
麹屋が多く存在した名残として、今日でも「麹町」あるいはこうじが付く地名が各都市に残っています。最も有名な例は、東京の麹町でしょう。しかし、時代が変わり核家族化が進み、農業人口が減少しサラリーマン世帯が増加すると、お味噌を手作りする習慣は薄れていきました。現代では、お味噌は購入するものという認識が一般的であり、大量生産されたお味噌が主流となっています。
このような変化により、麹屋の需要は大幅に減少しました。かつて数多くあった麹屋も減少の一途を辿り、現在では50万人規模の都市でも数件程度しか残っていません。これは、日本の食文化だけでなく、地域経済や伝統産業にも影響を与える変化です。
しかし、麹は味噌作りだけでは無く麹を使った食品(塩麹、甘酒、醤油こうじ等)が先ずは美味しく食べれる、安価なお肉も美味しくなる魚の旨味が増すとのことで有名になったのが塩麹、この塩麹を世に広めていただいたのが大分県の糀屋本店の浅利妙峰さんこの塩麹ブームで麹屋業界は息を吹き返し廃業一途の麹屋に歯止めがかかりました。
次に東日本大震災で福島原発の事故で放射漏れが大惨事になったことは記憶に新しいと思います。その時に思い起こされたのが長崎原爆が投下されたときに現場にいた医師、被爆された方々に、とあるお医者様が免疫をたかめ、排出力をたかめるお味噌をとりなさいと、アドバイスをしその指示に従った方々は他地域と比べ症状がかるかったそうです。このことをきっかけに味噌作りブームが始まり全国各地の味噌作り講座は大盛況と化しました。
そして現在から遡って4年前からのコロナウイルス禍でワクチン等で体を守ることは大事ですが一部の気が付いた方は先ずはご自身の免疫力を強くしてウィルスに負けない体を作ることの方が大事ではないかと、それには腸内環境を良くするために善玉菌有利にする。それには発酵食品が良いことを理解してくれる方が多くなり日本の伝統的に発酵食品(味噌、甘酒、塩麹、醤油こうじ)が見直されて麹の需要が増し現在に至っています。
そして、各地で行われている麹を使ったお料理のワークショップが全国各地で大盛況との報告を頂いております。
当店の地元の麹屋も様々な麹製品を工夫しています。今後、麹や伝統的な発酵食文化をどのように維持し発展させていくか楽しみです。
自家製味噌、作ってみたいです。家で手軽にできるならありがたいですね。