味噌 自由研究

【味噌とは】

味噌は日本の伝統的な醸造調味料で、和食の基本調味料の(さ・し・す・せ・そ)の一つです。

蒸した大豆に麹(米・麦・大豆)と塩を合わせて発酵熟成させた調味料が味噌です。

【味噌の分類】

味噌の分類は3通りです。

●麹による分類

米麹

米麹味噌

全国で作られる味噌の代表格で日本全国で生産されています。

米麹に大豆と塩を加えて出来るお味噌です。

麦麹

麦麹味噌

九州・四国・中国地方が主な産地になります。

麦麹に大豆と塩を加えて出来るお味噌です。

豆麹

豆味噌

中京地方(愛知・三重・岐阜)が主な生産地になります。

大豆麹と塩のみの原料で作られる豆味噌になります。

代用的なものに八丁味噌(メーカ名)があります。

 

●味による分類

甘口・辛口と言ったように味噌も味によって分類されます。

辛さの加減は食塩の量によって決まりますが、もう一つの決め手は麹歩合です。

麹歩合とは原料の大豆に対して麹の比率のことを言います。

塩分が一定なら麹歩合が高い方が甘口になります。

●色による分類

味噌の色の違い、濃淡の差が出るのは、発酵熟成中に起こるメイラード反応が原因です。

メーラード反応は原料である大豆のアミノ酸が糖と反応して褐色に変化することを言います。

無添加の味噌は熟成が進むので時間がたつと色が濃くなっていきます。

 

【味噌の歴史と語源】

日本人には馴染の味噌ですが、実は中国から伝来されたと考えられています。

その歴史は飛鳥時代までさかのぼります。

味噌の起源は古代中国の大豆塩蔵食品の醤(ひしお)だと言われています。

醤になる前の熟成途中の物がとても美味しかったので、これが味噌として独立して

味噌になったと言われています。

このことからいまだ醤にならず、すなわち未醤(みしょう)となずけられ

みしょう→みしょ→みしょ(味噌)と名付けられたようです。

【食べ方の変化】

古来味噌は、寺院や貴族階級に珍重されるほど贅沢な食品で味噌汁として調理されることは少なく、おかずや薬として利用されていたようです。

現在では日本人に欠かせない味噌ですが、鎌倉時代には(一汁一菜)という武士の食事習慣が確立して味噌汁という形で食する方法が流行してからのことなどです。

室町時代には裕福な庶民の間で自家製味噌が始まり、江戸時代になると工業的に生産されるようになったそうです。

平安時代

 

味噌は高級官僚の月給として

庶民には手の届かない贅沢品として扱われていました。

今の様に料理として使うのではなく、食べ物にかけたり漬けたりしていました。

薬としても利用されていたようです。

鎌倉時代

味噌汁登場❣

一汁一菜

中国からやってきた僧の影響ですり鉢を使われるようになり(つぶ味噌)をすり潰した(すり味噌)が作られるようになりました。

水に溶けやすかったので味噌汁として食されるようになり一汁一菜という鎌倉武士の食事スタイルが確立されました。

 

 

 

室町時代

大豆の生産が増え自家醸造も始まる

味噌汁が庶民の間に浸透しただけではなく今に伝わる味噌料理がほとんどこの時代に作られたと言われています。

大豆栽培の奨励策に伴って大豆の生産量が増え自家製味噌も作られ始まました。

戦国時代

 

兵糧として欠かせない味噌

戦国武士たちは米と味噌を兵糧(戦陣食)として携帯しました。

武田信玄は信濃遠征に備え味噌作りを奨励、伊達政宗は(塩蔵蔵)と呼ばれる日本で初めての味噌工場を建設、こうした背景から戦国武将の出身地は味噌処が多いようです。

江戸時代

医者に金を払うよりも味噌屋に払え

味噌は現代と変わらずなくてはならない食品となっていました。

江戸の人口が50万人に対して江戸の生産だけでは味噌が間に合わず、三河、三州、仙台みそが江戸に運ばれ、味噌屋は大繫盛。

レシピ本も刊行され味噌の料理が一気に広がりました。

味噌は誕生以来1300年以上にわたり日本人の食生活に育まれ、発展してきました。

日本全国それぞれの地域で原料、気候風土、食習慣や趣向にあわせ、様々な特徴を

持った味噌が作られるようになったのです。

現在でも味噌の種類は様々で、信州みそ、加賀味噌、仙台味噌、西京味噌などと呼

ばれ故郷の味として親しまれています。

みそ健康づくり委員会(みそを知る)から引用

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