第20話 讃岐・白味噌~なぜ讃岐に、甘い白味噌文化が生まれたのか?~
第20話 讃岐・白味噌
~なぜ讃岐に、甘い白味噌文化が生まれたのか?~

紀州で金山寺味噌の歴史を訪ねた私たち。
海を渡った禅僧・心地覚心の物語から、金山寺味噌、そして湯浅醤油へと続く発酵文化を見てきました。
さて、次はどこへ行きましょう。
紀州から瀬戸内海へ。
海を渡って四国へ向かいます。
今回の目的地は――
香川県、かつての讃岐国。
讃岐と聞けば、真っ先に「讃岐うどん」を思い浮かべる人が多いでしょう。
ところが、ここにはもう一つ、とても興味深い発酵文化があります。
それが、
サヌキ白みそ。
透き通るようなクリーム色。
塩味は穏やかで、口にすると麹の甘味が広がる味噌です。
ここで花ちゃんから、さっそく質問。
花ちゃん
「白味噌って、京都で見なかった?
どうして香川にも白味噌があるの?」
そうなんです。
私たちは第17話で、京都の白味噌を訪ねています。
ではなぜ、京都から遠く離れた讃岐にも甘い白味噌文化があるのでしょう。
今回の旅は、ここから始まります。
白味噌は、京都から讃岐へ旅をした?

讃岐の白味噌の歴史を調べていくと、京都との深いつながりが見えてきます。
農林水産省の「サヌキ白みそ」GI登録資料には、香川への白味噌伝来について、いくつかの説が紹介されています。
その一つが、崇徳上皇にまつわるものです。
1156年の保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐へ配流されました。
伝承では、都を懐かしんだ上皇が京都で食べていた白味噌料理を求め、土地の人々につくらせたともいわれています。
もう一つは、讃岐と京都の寺院との交流を通して白味噌の製法が伝わったという説です。
どちらが白味噌伝来の決定的な起源なのかは断定できません。
ただ、農林水産省のGI資料では、11~12世紀ごろ、京都の朝廷文化との関係を通じて讃岐へ白味噌文化が伝わったとする伝承が紹介されています。
ここで、全国味噌マップで何度も登場してきた言葉を思い出します。
人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。

京都で育った白味噌文化も、人の移動や交流とともに瀬戸内海を越えていったのかもしれません。
なぜ白味噌は、讃岐に根づいたのか?
製法が伝わることと、その土地の食文化として定着することは別です。
讃岐には、白味噌づくりを受け入れる条件がありました。
瀬戸内式気候の香川は、比較的温暖で雨が少ない土地です。
そして讃岐では、米や大豆がつくられ、瀬戸内沿岸では古くから塩づくりも盛んでした。
味噌に必要な、
米。
大豆。
塩。
この三つを得られる環境がありました。
さらに江戸時代になると、讃岐では、
砂糖・塩・木綿
が重要な特産品となり、のちに
「讃岐三白」
と呼ばれるようになります。
白味噌そのものの成立を「讃岐三白」だけで説明することはできません。
しかし、米、大豆、塩、そして後には砂糖まで――。
讃岐には甘い食文化を育てる背景が少しずつ整っていきました。
白味噌は、農家の味だった
ここは麹屋として、とても興味をひかれるところです。
昔の讃岐では、農家が自分たちで白味噌を仕込んでいました。
秋。
米の収穫が終わるころ。
蒸した大豆に、たっぷりの米麹と塩を合わせる。
そして家々で白味噌を仕込む。
現在のようにスーパーへ行って味噌を買う時代ではありません。
その土地で採れたものを使い、自分たちで仕込む。
味噌はまさに、
暮らしの中の発酵食品
でした。
こうした農家の自家醸造文化が、後のサヌキ白みその商業的な生産へとつながっていきます。
これは全国を旅していると何度も出会う風景です。
土地が違っても、
米をつくり、大豆を育て、麹をつくり、味噌を仕込む。
日本の味噌文化の根っこには、いつも人々の日々の暮らしがあります。
サヌキ白みそは、なぜ甘い?
ここからは、麹屋の目線で桶の中をのぞいてみましょう。
現在、国の地理的表示(GI)として登録されている**「サヌキ白みそ」**には、特徴的な製造方法があります。
大きなポイントは、
米麹を大豆の2倍使用すること。
そして、
塩分6%以内。
さらに、
熟成期間は7日以内。
大豆は脱皮し、煮る工程でも色を白く保つための工夫が行われます。
こうして、あのなめらかなクリーム色の白味噌が生まれます。
「サヌキ白みそ」は2023年1月31日、国のGI保護制度に登録されました。
では、なぜ甘いのでしょう。
その主役が、
米麹です。
米麹が持つ酵素の働きによって、米のでんぷんが糖へと分解されます。
米麹をたっぷり使うことで、麹由来の甘味が引き出される。
さらに塩分が低いため、その甘味を感じやすい。
つまり、
甘さは、砂糖をたくさん入れたからではなく、米麹の力を生かした甘さ。
これが白味噌の面白さです。
京都の白味噌と、讃岐の白味噌

ここで第17話を思い出してみましょう。
京都の白味噌も、
米麹を多く使う。
塩分が低い。
熟成期間が短い。
という特徴がありました。
讃岐の白味噌とよく似ています。
では、同じ味噌なのでしょうか。
製法の基本的な考え方には共通点があります。
しかし全国味噌マップで大切なのは、
「その味噌を、土地の人がどう食べてきたのか」
を見ることです。
京都では、白味噌雑煮をはじめ、京料理の中で白味噌文化が育ちました。
一方の讃岐では――
白味噌が、まったく別の食文化と出会います。
その代表が、
あんもち雑煮。

花ちゃん、びっくり!「味噌汁に、あんこ!?」
花ちゃん
「えっ!?
白味噌のお雑煮に、あんこの入ったお餅!?」
そうなんです(笑)。
香川を代表する郷土料理の一つが、
あんもち雑煮。
甘い白味噌仕立ての汁の中に、餡入りの丸餅を入れます。
白味噌も甘い。
餅の中の餡も甘い。
「甘い+甘い」。
ところが、この組み合わせには讃岐の歴史が隠れています。
あん餅の向こうに見える「讃岐三白」
江戸時代の讃岐では、サトウキビ栽培と砂糖づくりが発達しました。
やがて砂糖は、
塩・木綿と並ぶ讃岐三白
の一つになります。
しかし当時、砂糖は貴重なもの。
日常的に誰もが自由に食べられるものではありませんでした。
だからこそ、
お正月くらいは、甘いものを食べたい。
そんな思いから砂糖を使った餡を餅に入れ、白味噌仕立ての雑煮で食べる文化につながったと考えられています。
現在につながるあんもち雑煮は、農林水産省の郷土料理資料では明治時代ごろから食べられるようになったと紹介されています。
「役人に見つからないよう、砂糖を餡にして餅の中へ隠した」
という話も伝わっています。
ただし、これは歴史的事実として断定するのではなく、
讃岐に残る由来の伝承
として楽しむのがよさそうです。
白味噌は、あんもち雑煮だけではありません
あんもち雑煮があまりにも有名なので、
「讃岐白味噌=あんもち雑煮」
と思ってしまいそうですが、それだけではありません。
もう一つ面白い郷土料理があります。
てっぱい。
魚と大根などを、白味噌を使った酢味噌で和える料理です。
農林水産省によると、もともとはため池で獲れたフナなどを使い、現在ではコノシロ、サゴシ、サバなども使われています。
ここにも、その土地の暮らしがあります。
香川には多くのため池がある。
魚が獲れる。
畑では大根ができる。
そこに白味噌がある。
だから、
魚+野菜+白味噌+酢
という料理が生まれる。
味噌は、それだけを見ても土地の文化は分かりません。
味噌と、その土地の食材を一緒に見る。
すると、その土地の暮らしまで見えてきます。
そして白味噌は、もう一度旅をした

今回調べていて、私が特に面白いと思ったのがここです。
讃岐へ伝わった白味噌は、近代になると今度は讃岐から外へ旅を始めます。
大正時代ごろから白味噌の企業的な生産が進み、戦後の1950年には香川県味噌工業協同組合が設立されました。
そして「サヌキ白みそ」の名で生産が進みます。
大きな市場となったのが、
京阪神。
瀬戸内海の交通を利用して、讃岐から京阪神へ白味噌が出荷されるようになります。
ここで地図を広げてみると、面白いことに気づきます。
京都 → 讃岐 → 京阪神
京都から伝わったとされる白味噌文化が、讃岐で独自に育ち、
何百年もの時を経て、今度は讃岐の白味噌が京阪神へ向かう。
まるで白味噌が往復しているようです。
麹屋から見た「サヌキ白みそ」
白味噌というと、
「熟成期間が短いから、簡単な味噌なのでは?」
と思われることがあります。
でも、そうではありません。
白く仕上げるために大豆をどう処理するか。
米麹をどれくらい使うか。
塩をどこまで抑えるか。
温度をどう管理するか。
そして、どのタイミングで仕上げるか。
長期熟成味噌とは違う技術が必要です。
八丁味噌を訪ねたとき、私たちは、
「時間をかける知恵」
を見ました。
京都や讃岐の白味噌には、
「時間をかけすぎない知恵」
があります。
どちらが優れているという話ではありません。
**発酵は、長さを競うものではない。
つくりたい味に合わせて、時間を使い分けるもの。**
全国の味噌を訪ねていると、このことを何度も教えられます。
京都から届いた白味噌は、讃岐の味になった

今回の旅を振り返ってみましょう。
京都から伝わったとされる白味噌文化。
米と大豆。
瀬戸内の塩。
農家の自家醸造。
米麹をたっぷり使った甘い白味噌。
そこへ讃岐の砂糖文化が加わり、あんもち雑煮が生まれる。
魚や野菜と出会えば、てっぱいになる。
さらに近代になると、サヌキ白みそは瀬戸内海を渡って京阪神へ出荷されていく。
同じ白味噌でも、京都と讃岐では歩んだ道が違います。
だから今回の答えは、こうなのかもしれません。
**京都から届いた白味噌は、
讃岐の暮らしの中で「讃岐の白味噌」になった。**
味噌は、伝わっただけでは郷土の味にはなりません。
その土地でつくられ、
その土地の食材と出会い、
その土地の人たちが食べ続ける。
そうして初めて、
「ふるさとの味」
になっていくのでしょう。
そして今回も、やっぱりこの言葉で締めたいと思います。
人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。
次回 第21話
瀬戸内海を、さらに西へ。
香川を離れて向かうのは――
愛媛・伊予。
ここから味噌の景色が大きく変わります。
米麹中心の甘い白味噌から、
今度は、
麦麹の世界へ。

