第19話 紀州・金山寺味噌 ~海を渡った禅僧は、何を日本へ持ち帰ったのか?~
第19話 紀州・金山寺味噌
~海を渡った禅僧は、何を日本へ持ち帰ったのか?~

日本の味噌を、もう一度旅してみよう。
前回、私たちは奈良で時計の針を約1300年前まで戻しました。
そこで出会ったのは、現在の味噌そのものではありません。
醤(ひしお)。
未醤(みしょう)。
穀醤(こくびしお)。
宮廷には発酵調味料を扱う「醤院」があり、時代が進むと寺院もまた、醸造や発酵の技術を受け継ぎ、育てていく重要な場所になっていきました。
味噌は、ある日突然生まれた食品ではない。
いくつもの発酵の知恵が重なり合い、長い時間をかけて現在の姿へ近づいてきた――。
奈良では、そんな味噌の遠い記憶をたどりました。
さて。
奈良をあとにして、旅は紀伊半島へ。
今回の舞台は、
紀州・和歌山。
そして、全国味噌マップの旅に、いよいよ一人の禅僧が登場します。
その名は――
心地覚心
(しんち・かくしん/のちの法燈国師)

花ちゃんも気になるようです。
「このお坊さんが、
金山寺味噌を日本へ持ってきたの?」
さあ今回は、一人の禅僧の足跡を追いながら、
海を越えて旅をした“発酵の知恵”
を探してみましょう。
海を渡った禅僧・心地覚心
心地覚心は、鎌倉時代の1207年に生まれた禅僧です。
1249年、覚心は宋へ渡り、禅を学びました。
和歌山に伝わる歴史や農林水産省の郷土料理資料では、覚心は中国の**径山寺(きんざんじ)**で味噌の製法を学び、帰国後に紀州へ伝えたとされています。これが現在の金山寺味噌につながったという説が、有力な由来の一つとして紹介されています。
ただし、ここで大切なことがあります。
心地覚心が、日本で初めて味噌をつくったわけではありません。
前回の奈良編で見たように、覚心が生まれる何百年も前から、日本には醤や未醤などの発酵文化が存在していました。
ですから、
「覚心が味噌を発明した」
という話ではありません。
むしろ面白いのは、
すでに日本にあった発酵文化に、海の向こうから新しい発酵の知恵が加わった。
というところです。
中国・径山寺で出会った発酵の知恵
覚心が宋で修行したと伝えられているのが、
径山寺。
現在の中国・浙江省杭州周辺にある禅寺です。
覚心はここで味噌の製法を学び、その技術を日本へ持ち帰ったと伝えられています。
そして帰国後、紀州・由良の地を拠点に活動しました。
この覚心と深い関わりを持つのが、現在の興国寺です。
ここから、紀州に金山寺味噌の文化が広まったという物語が伝えられています。
しかし、ここでも少し注意が必要です。
13世紀の中国・径山寺でつくられていた発酵食品と、現在私たちが食べている紀州金山寺味噌が、
まったく同じ材料、まったく同じ製法だった
と考えることはできません。
長い年月の中で、
中国から伝わった知恵と、
紀州の穀物、
紀州の野菜、
気候、
そして人々の暮らしが重なり、
現在の金山寺味噌へと育っていった。
私は、そんなふうに考えると、とても面白いと思います。
金山寺味噌は「食べる味噌」
さて、ここでいつもの味噌を思い浮かべてみましょう。
味噌汁。
煮物。
味噌だれ。
一般的な味噌は、料理の調味料として使われます。
ところが、金山寺味噌は少し違います。
味噌そのものを食べる。
いわゆる、
「なめ味噌」
です。
農林水産省によると、紀州の金山寺味噌では、米・麦・大豆を麹にし、そこへ瓜、茄子、生姜、紫蘇などの野菜を加え、発酵・熟成させます。
温かいご飯にのせる。
お粥と食べる。
野菜につける。
酒の肴にする。
味噌汁に溶かして使う味噌とは、ずいぶん違います。
米・麦・大豆――三つの穀物を麹にする

ここは、麹屋として特に面白いところです。
金山寺味噌の材料を見ると、
米。
麦。
大豆。
があります。
さらに、
瓜。
茄子。
生姜。
紫蘇。
といった野菜が加わります。
つまり金山寺味噌は、
「大豆を発酵させた味噌」
というだけではありません。
穀物の麹と、野菜を一緒に食べる発酵食品。
と考えると、その特徴がよく分かります。
花ちゃんも、
「お味噌というより、
麹と野菜を丸ごと楽しむ発酵食品みたい!」
そうなんです。
だから、普通の米味噌とはつくり方も、食べ方も違います。
麹屋から見た「金山寺味噌」
実は今回の旅は、私にとって少し特別です。
なぜなら――
鈴木こうじ店でも、金山寺味噌をつくっているからです。
これまで全国味噌マップでは、北海道、東北、北陸、信州、江戸、静岡、三河、京都、奈良……と、日本各地の味噌を訪ねてきました。
ところが今回は、
「遠い土地の発酵食品を調べる旅」
だけではありません。
今、自分たちがつくっている発酵食品のルーツをたどる旅
でもあるのです。
金山寺味噌を仕込んでいると、普通の味噌とは違う面白さがあります。
穀物の麹。
野菜。
塩。
野菜から出てくる水分。
温度。
そして時間。
それぞれが影響し合いながら、少しずつ金山寺味噌らしい香りと旨味へ変わっていきます。
麹だけを見ていても分からない。
野菜だけを見ていても分からない。
全部が一緒になって、初めて金山寺味噌になる。
これもまた、一つの発酵の世界なのです。
「紀州金山寺味噌」はGI登録されている
そして現在、
「紀州金山寺味噌」
は国の地理的表示(GI)保護制度に登録されています。
登録されたのは2017年。
生産地は和歌山県です。
GIの生産方法では、麹の原料として大豆・裸麦・米のすべてを使用し、具材として瓜・茄子・生姜・紫蘇のすべてを使用することなどが定められています。
ここは、これまでの全国味噌マップでも何度か出てきた、
「食品の名前と土地」
というテーマにつながります。
金山寺味噌という発酵文化そのものは、和歌山だけに存在するわけではありません。
静岡、愛知、千葉などにも、それぞれの金山寺味噌文化があります。
しかし、
「紀州金山寺味噌」
というGI名称には、和歌山という土地と、そこで受け継がれてきた製法との結びつきがあります。
同じ「金山寺味噌」という名前でも、
土地が変われば材料も変わる。
つくり方も少し変わる。
味も変わる。
これもまた、全国味噌マップを旅する面白さですね。
そして、桶の底にたまった「汁」

さて。
ここから話が、さらに面白くなります。
金山寺味噌を仕込む。
発酵が進む。
野菜から水分が出る。
麹や原料の成分が溶け込む。
すると、
桶の中に液体がたまります。
この液体を味わった昔の人が、
「これは、うまい。」
と思ったのでしょうか。
和歌山には、
金山寺味噌から出た液汁が、湯浅醤油へ発展していった
という伝承があります。
農林水産省も、金山寺味噌の製造過程で生じる液体が調味料として使われ、それが醤油へ発展したという湯浅に伝わる説を紹介しています。
ここで、
「なるほど!では日本の醤油は金山寺味噌から生まれたんだ!」
と言いたくなります。
でも――
少し待ってください。
醤油の誕生には、いくつもの物語がある
前回の奈良編を思い出してください。
奈良時代には、すでに**醤(ひしお)**がありました。
さらに古い文献には、醤から分離した液汁を利用していたことを示す記録もあります。
つまり、
「日本の醤油は、ある日突然、湯浅で発明された」
と単純に言い切ることはできません。
農林水産省の発酵文化資料でも、覚心が伝えた味噌から生じた溜まり汁が醤油の始まりになったという話は、醤油の起源にまつわる説の一つとして紹介されています。
だから、この全国味噌マップでは、
「湯浅には、金山寺味噌の液汁から醤油が生まれたという伝承がある。」
と紹介することにしましょう。
歴史というのは、
「誰が最初だったのか」
だけを決めるより、
いろいろな土地で、人が何を考え、どう工夫してきたのか
を見ていく方が面白いのかもしれません。
発酵が、次の発酵文化を生む
ここで麹屋として、私はとても興味をひかれます。
発酵食品は、最初から完成形が決まっていたものばかりではありません。
つくってみる。
発酵する。
液体が出る。
香りが変わる。
味をみる。
そして、
「これも使えるんじゃないか?」
と考える。
その繰り返しの中から、新しい食べ物や調味料が生まれてきたのでしょう。
もし、金山寺味噌から出た液汁を調味料として利用したことが湯浅醤油へつながったという伝承が、当時の工夫を伝えているのだとすれば――
これは、
発酵が、次の発酵文化を生んだ
という、とても面白い物語です。
味噌の桶をのぞいていたら、
その中から醤油の物語まで見えてきた。
発酵の世界は、本当に奥が深いですね。
金山寺味噌も旅をした
そして、ここでもあの言葉に戻ってきます。
人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。
金山寺味噌の文化は、紀州だけにとどまりませんでした。
現在、和歌山だけでなく、静岡、愛知、千葉などにも金山寺味噌の文化が残っています。
そして――
静岡。
私たちの土地にも、その文化があります。
農林水産省の静岡県の郷土料理資料にも金山寺味噌が紹介され、県内で昔から食べられてきた発酵食品の一つとして取り上げられています。
紀州で育った発酵文化が、
人から人へ。
土地から土地へ。
長い時間をかけて旅をする。
そして今、
静岡の麹屋でも金山寺味噌を仕込んでいる。
そう考えると、
全国味噌マップの旅が突然、私たち自身の仕事につながってきます。
800年近い旅の先に
宋へ渡った一人の禅僧。
中国で出会った発酵の知恵。
紀州へ伝えられたとされる製法。
米。
麦。
大豆。
そして紀州の野菜。
そこから生まれた金山寺味噌。
さらに、その文化は紀州を出て各地へ旅をしました。
もちろん、
「心地覚心が持ち帰ったレシピが、そのまま800年近く変わらず、鈴木こうじ店まで伝わった」
という話ではありません。
むしろ面白いのは、その逆です。
発酵の知恵は、旅をするたびに、その土地の材料と暮らしに合わせて姿を変えてきた。
それでも、
穀物を麹にし、
野菜を加え、
塩とともに発酵させ、
それ自体を食べる。
その発酵文化は、今も生きています。
心地覚心は、何を日本へ持ち帰ったのか?
それでは、今回のタイトルに戻りましょう。
海を渡った禅僧は、何を日本へ持ち帰ったのか?
金山寺味噌?
そう伝えられています。
でも、もう少し大きな目で見てみましょう。
覚心が持ち帰ったと伝えられるものは、
単なる一枚の「レシピ」ではなかったのかもしれません。
麹を使う知恵。
穀物を発酵させる知恵。
食べ物を保存する知恵。
そして――
発酵によって、新しい味を生み出す知恵。
その知恵が紀州という土地に根を下ろし、
人から人へ受け継がれ、
金山寺味噌という文化へ育っていった。
そう考えると、心地覚心という人物は、
この全国味噌マップに登場するにふさわしい――
“発酵レジェンド”
なのかもしれません。
発酵の旅は、まだ続いている
奈良編では、
「発酵の知恵は、人とともに旅をした。」
という言葉で旅を終えました。
紀州まで来ると、その先が見えてきます。
**人が旅をすると、発酵の知恵も旅をする。

そして、その土地に根を下ろすと、新しい味になる。**
紀州で育った金山寺味噌。
その発酵文化は、静岡へも旅をしました。
そして今、
私たちの麹屋でも、
麹をつくり、
野菜を刻み、
金山寺味噌を仕込んでいます。
800年近い時間の向こうにいる心地覚心が、もし現代の麹屋をのぞいたら――
何と言うでしょう。
花ちゃんは、きっとこう声をかけるでしょう。
「覚心さん!
発酵の旅、まだ続いてますよ!」
そう。
発酵の旅は、まだ終わっていません。
紀州の桶の中から見えてきた、もう一つの発酵食品――
醤油。
次は少し寄り道をして、
「味噌から醤油は生まれたの?」
そんな謎を追いかけてみるのも面白そうです。
そしてその先には、再び西へ。
四国にも、まだ面白い味噌が待っています。
人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。
全国味噌マップの旅は、まだまだ続きます。
鈴木こうじ店
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