第18話 奈良と味噌 ~味噌のルーツは、寺の中にあった?~
第18話 奈良と味噌
~味噌のルーツは、寺の中にあった?~

日本の味噌を、もう一度旅してみよう。
前回の旅は、京都の関西白味噌でした。
たっぷりの米麹を使い、塩を控え、比較的短い期間で仕上げる。
三河・八丁味噌の「時間をかける知恵」とは対照的な、**「時間をかけすぎない知恵」**から、あの淡い色とやさしい甘さが生まれていました。
京都から、今度は少し南へ。
次の目的地は――
奈良。
ところが今回、私たちが探すのは「奈良を代表する一種類の味噌」ではありません。
もっと昔へ。
ずっと、ずっと昔へ。
時計をおよそ1300年前まで巻き戻してみます。

今回の旅のテーマは、
そもそも、日本の味噌はどこからやって来たのだろう?
です。
花ちゃんも不思議そうです。
「えっ?
今回は味噌を探さないの?」
そう。
今回探すのは――
「味噌になる前の味噌」
なのです。
🏯 1300年前の奈良へ
奈良盆地に都が置かれた飛鳥・奈良時代。
大陸との交流を通して、さまざまな文化や技術が日本へ伝わりました。
その中には、もちろん食と発酵の技術もありました。
当時使われていた発酵調味料の一つが、
醤(ひしお)
です。

「醤」といっても、一種類ではありません。
魚や肉、穀物などを塩とともに発酵させるさまざまな醤があり、その中でも大豆や穀類を使った**穀醤(こくびしお)**は、現在の味噌や醤油につながっていく発酵文化の一つと考えられています。
農林水産省も、奈良では大豆や穀類を塩漬けにした醤が古くから造られ、味噌や醤油のルーツにつながる食文化として紹介しています。
ただし、ここで一つ大切なことがあります。
奈良時代の醤=現在の味噌、ではありません。
現代の私たちが知っている、
大豆+麹+塩
という味噌を、そのまま1300年前に置いて考えることはできません。
味噌は、まだ長い旅の途中だったのです。
「未醤」という不思議な名前
奈良時代の発酵文化を調べていくと、麹屋としてどうしても気になる言葉に出会います。
未醤(みしょう)
です。
農林水産省の資料では、『正倉院文書』に「末醤」「末蘇」、後の『倭名類聚抄』には「未醤」という記述が見られることが紹介されています。
全国味噌工業協同組合連合会の資料でも、古代には「未醤」と呼ばれる大豆発酵食品などが造られていたことが紹介されています。
そして平安時代に入ると、中国から伝わった醤などと、日本で造られていた未醤などの発酵技術が重なりながら、やがて**「みそ」**が生まれていったと考えられています。901年成立の『日本三代実録』には、日本で「味噌」という文字が確認できるとされています。
ここが面白いところです。
味噌には、
「この年、この場所で、誰かが発明しました」
という単純な誕生日があるわけではありません。
いろいろな発酵食品と技術が長い時間をかけて重なり、少しずつ現在の味噌へ近づいていった。
そんな姿が見えてきます。
🏺 なんと宮廷には「醤院」があった

さらに驚くことがあります。
古代の朝廷には、食事を担当する**大膳職(だいぜんしき)**という役所がありました。
そして、その中には、
醤院
という部署まで置かれていました。
農林水産省の食文化資料では、ここで味噌や醤油の原型につながる穀醤が管理され、貴重な調味料として扱われていたことが紹介されています。
花ちゃんもびっくりです。
「えっ!
1300年前に“発酵調味料を扱う専門部署”があったの?」
今の麹屋から見ると、なんだか親近感を覚えてしまいます。
でも、ここで今回の記事タイトルを思い出してください。
「味噌のルーツは、寺の中にあった?」
あれ?
今の話は、お寺ではなく宮廷ですよね。
🛕 では、お寺はどこで登場する?

ここからが奈良の旅のもう一つの面白さです。
古代の発酵文化を、
「すべて寺院が生み出した」
と考えるのは正確ではありません。
宮廷にも高度な醸造技術がありました。
一方で、時代が進むにつれて寺院は、食や発酵の技術を受け継ぎ、発展させる重要な場所になっていきます。
そのことが非常によく分かるのが、
奈良の酒造り
です。
奈良時代には朝廷の**造酒司(みきのつかさ)**が酒造りを担っていましたが、平安京への遷都後、酒造技術は寺院へと受け継がれていきます。
そして室町時代。
奈良の**正暦寺(しょうりゃくじ)では、日本酒造りの重要な技術につながる菩提酛(ぼだいもと)**が生まれたとされています。
当時の寺社は、信仰の場所であると同時に、知識や技術が集まる場所でもありました。農林水産省の奈良県の食文化紹介でも、当時の寺社が現代の大学や企業のような機能を持ち、技術革新を生んでいたことが紹介されています。
つまり、
「味噌は寺で発明された」わけではない。
けれど、
寺院は、日本の発酵文化を育て、受け継いだ重要な場所だった。
ということなのです。
だから今回のタイトルには、
「?」
を付けました。
麹屋から見ると、ここが面白い
私は麹屋です。
今の味噌づくりでは、
大豆+麹+塩
という組み合わせを、ごく当たり前のように考えています。
米味噌なら米麹。
麦味噌なら麦麹。
豆味噌なら豆麹。
ところが1300年前まで戻ってみると、その「当たり前」はまだ出来上がっていません。
醤があり、
未醤があり、
穀物の発酵があり、
大豆の発酵があり、
そして麹を使う技術がある。
それぞれの知恵が長い時間をかけて重なり合い、やがて日本独自の味噌文化へつながっていったと考えると、とても面白いのです。
ここで今回の旅から見えてきたことを、一言にしてみましょう。
味噌は、ある日突然生まれた食品ではなかった。
日本人が何世代にもわたり、
発酵の知恵を積み重ねてつくり上げてきた食品
だったのです。
そして現代の奈良に「古代ひしお」がよみがえった
さらに面白い話があります。
古代の発酵文化を現代によみがえらせようと、奈良では**「古代ひしお」**がつくられています。
奈良時代の穀醤を研究していた「なら食」研究会、奈良県の研究機関、奈良県醤油工業協同組合などが研究を重ね、奈良時代の製法と現代の技術を組み合わせて2010年に商品化しました。
原料には大豆・大麦・こうりゃん・塩などが使われています。
1300年前の発酵食品を、そのまま完全に再現したという意味ではありません。
けれど、
古代の発酵文化を、現代の技術で読み解いてみる。
これは発酵に関わる者として、とても興味をそそられる取り組みです。
もう一つの奈良の味噌「えんどう味噌」

そして奈良には、もう一つ面白い味噌が残っています。
えんどう味噌
奈良県葛城地域では、大豆ではなくえんどう豆を原料にした味噌が造られてきました。
えんどう豆をゆでてつぶし、麹と塩を合わせ、半年ほど熟成させます。
発祥は明確ではありませんが、江戸時代から造られていたとも伝えられ、現在でも一部の農家などでその文化が受け継がれています。
これは麹屋として、とても面白い。
味噌というと、つい、
「大豆でつくるもの」
と思ってしまいます。
でも、日本各地を旅していると、その常識から少し外れた味噌にも出会います。
土地にある材料。
暮らし。
農業。
そして麹。
それらが組み合わさって、その土地ならではの発酵食品が生まれてきたのでしょう。
奈良で見つけたものは「一つの味噌」ではなかった

今回の奈良の旅では、
「これが奈良味噌です」
という一つの味噌を探したわけではありませんでした。
代わりに見つけたのは、
醤。
未醤。
宮廷の醤院。
寺院に受け継がれた発酵技術。
そして現代の、
古代ひしお。
えんどう味噌。
一つひとつをつないでいくと、日本の発酵文化の長い時間が見えてきます。
奈良は、現在の味噌の「発祥地」と一言で決められる場所ではありません。
それよりも、
日本の味噌が生まれていく、その長い物語をのぞくことのできる場所。
そう考えると、この旅がもっと面白くなります。
そして旅は、紀州へ
さて。
1300年前までさかのぼった私たちの旅を、今度は少し先へ進めてみましょう。
奈良から紀伊半島へ。
次の舞台は――
紀州・和歌山。
そして、ここで一人の僧侶が登場します。
その名は、
**心地覚心
(しんち・かくしん/法燈国師)**
鎌倉時代に宋へ渡った禅僧です。
この人物を追いかけていくと、
寺院
↓
金山寺味噌
↓
紀州の発酵文化
そして――
醤油へとつながる伝承
が見えてきます。
花ちゃんも、何やら気になっているようです。
「お坊さんが、
味噌の旅に出てくるの?」
はい。
しかもこの旅は、ずっと先で――
静岡の麹屋にもつながってきます。
それは次回のお楽しみ。
次回
第19話 紀州・金山寺味噌
~海を渡った禅僧は、何を日本へ持ち帰ったのか?~
奈良で出会った古代の発酵文化。
そして紀州で出会う、心地覚心。
時代も場所も違います。
けれど、その間には一本の長い道があります。
それは、
人から人へ、土地から土地へ、発酵の知恵が受け継がれてきた道。
だから、この旅を続けていると、いつも同じ言葉に戻ってきます。
人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。
奈良から紀州へ。
全国味噌マップの旅は、いよいよ**「発酵を伝えた人」**を追いかけます。😊
鈴木こうじ店
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