第16話 八丁味噌 ~なぜ味噌の上に、3トンもの石を積むのか?~

第16話 八丁味噌

~なぜ味噌の上に、3トンもの石を積むのか?~

人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。

静岡・駿河から東海道を西へ。

浜名湖を越え、前回の旅では三河の豆味噌に出会いました。

米を麹にするのではなく、

大豆そのものを麹にする。

それだけでも十分驚きだったのですが、三河・岡崎には、さらに独特な味噌づくりが受け継がれていました。

岡崎城から西へ、ほんの少し。

古い蔵の中へ入ると、大きな木桶がずらり。

そして、その上を見上げると――

石、石、石……。

山のように積み上げられています。

花ちゃんもびっくりです。

「えっ!

味噌の上に、どうしてこんなに石を積むの?」

今回の旅の主人公は、

八丁味噌。

なぜ大豆を大きな味噌玉にするのでしょう。

なぜ水分を少なくするのでしょう。

そして、なぜ味噌の上に何トンもの石を積み、何年もの時間をかけるのでしょう。

一つずつ見ていくと、一見不思議に見える八丁味噌のつくり方が、すべてつながってきます。


「八丁味噌」の八丁って、何?

まず気になるのが、その名前です。

「八丁」は味噌の種類を表す言葉ではありません。

もともとは土地の名前です。

江戸時代初期、このあたりは「八丁村」と呼ばれていました。

徳川家康が生まれた岡崎城から西へ八丁、現在の距離でおよそ870m。その位置にあったことから「八丁村」と名づけられたとされています。

しかも、この土地には東海道が通り、近くには矢作川が流れていました。

人も物も行き交う場所です。

農林水産省の資料では、八丁村でつくられた味噌が東海道を往来する人々にも知られ、江戸へも船で運ばれていたことが説明されています。

つまり八丁味噌は、

「八丁という土地で育った豆味噌」

として、その名前を広げていったのです。


大豆を麹にする。

前回の「三河・豆味噌」で見たように、豆味噌の大きな特徴は大豆そのものを麹にすることです。

米味噌なら、

大豆+米麹+塩。

麦味噌なら、

大豆+麦麹+塩。

ところが伝統的な八丁味噌では、米麹も麦麹も使いません。

主役は大豆です。

ところが、ここからが面白い。

八丁味噌では、蒸した大豆にそのまま麹菌をつけるのではありません。

大豆の形を変えてしまいます。


大豆が「大きな味噌玉」になる

大豆を水に浸し、蒸します。

そして蒸した大豆をつぶして丸め、

大きな味噌玉

をつくります。

その表面に麹菌をつけ、麹菌を育てていく。

こうしてできるのが豆麹です。

カクキューも、蒸した大豆を丸めて味噌玉をつくり、その表面に麹菌をつけて製麹する工程を現在公開しています。

ここで、麹屋として私はとても面白いと思うのです。

鈴木こうじ店で豆麹をつくるときは、蒸した大豆を粒のまま製麹します。

ところが八丁味噌では、

大豆をつぶし、大きな味噌玉にしてから麹にする。

同じ「大豆を麹にする」でも、その方法が違うのです。

大豆を麹にするために、大豆の“形”まで変えた。

これもまた、その土地で育ってきた発酵の知恵なのでしょう。

農林水産省のGI資料では、高温多湿な愛知の環境のなかで安全に味噌づくりを行う方法として、味噌玉を用いる製法が約200年前には定着していたと説明されています。気候だけが唯一の理由だったと単純化はできませんが、この土地の自然条件と製法が深く関係してきたことが分かります。


豆麹ができたら、木桶へ

味噌玉から豆麹ができました。

次は仕込みです。

豆麹に塩水を合わせ、大きな木桶へ仕込みます。

ここでも八丁味噌らしい特徴が出てきます。

水分が少ない。

まるや八丁味噌は、自社の伝統製法を「低水分木桶仕込み」と説明しています。水分を抑えた硬い仕込みを、大きな木桶の中で長い時間をかけて熟成させます。

だから仕込みの段階から、一般的な米味噌とはずいぶん姿が違います。

しかし、ここで一つ問題があります。

硬い味噌を大きな木桶に仕込んで、そのまま長期間置いておけばよいのでしょうか。

そこで登場するのが――

石です。


なぜ、味噌の上に3トンもの石を積むの?

蔵の中で見上げるほどの大きな木桶。

その上には、天然の石が円錐形に積み上げられています。

カクキューが現在公開している製法では、

1本の木桶に仕込む味噌が約6トン。

その上に積む石は、

約3トン。

数にすると、

約350個。

天然の川石を職人が一つずつ組み合わせて積み上げます。

味噌6トン。

石3トン。

初めて見ると、

「そこまで重くする必要があるの?」

と思いますよね。

でも、ただ重いものを載せればよいわけではありません。

まるやでは、木桶へ仕込む際に味噌を均し、踏み固め、余分な空気を抜いて石積みの土台をつくり、その上へ石を一つずつ積み上げています。

そして驚くのが、その積み方。

石は無造作に置かれているのではありません。

円錐形。

下から上へ、美しい山のように積み上げられます。

形の違う天然石を見ながら、

「この石はここ」

「この向きなら安定する」

と判断していく。

まさに職人仕事です。

カクキューでは、この石積みには長い修業が必要で、熟成期間中に崩れないよう積み上げる技術が受け継がれていると説明しています。

花ちゃんの、

「重ければ重いほど、おいしくなるの?」

という疑問。

答えは、

「重さだけではない」

ということですね。

木桶への仕込み方、空気を抜く作業、石の組み方、そして長期間安定して圧力をかけ続けること。

全部が一つの技術なのです。


石を積んだら、人は待つ。

ここからが、八丁味噌らしいところです。

石を積み終えたからといって、すぐに味噌ができるわけではありません。

夏。

気温が上がり、熟成が進みます。

冬。

気温が下がり、ゆっくりと時間が流れます。

そして、もう一度、

夏。

さらに、

冬。

昔から伝えられてきた言葉が、

「二夏二冬」

です。

現在もカクキューは天然醸造で二夏二冬(2年以上)、まるや八丁味噌も2年以上の天然醸造を掲げています。

人工的に急いで仕上げるのではなく、季節を越えていく。

前回の三河・豆味噌で、

「時間も、豆味噌の材料」

という話をしました。

八丁味噌を見ていると、その意味がさらによく分かります。

八丁味噌は、時間を短縮しない味噌。

私はそんなふうにも感じます。


二夏二冬で、何が変わる?

長い熟成のあいだに、大豆の成分は麹の酵素や微生物の働きによって変化していきます。

大豆のたんぱく質から、うま味に関わるアミノ酸などが生まれ、熟成とともに色も濃い赤褐色へ。

酸味、うま味、苦渋味などが重なった、八丁味噌らしい複雑な風味へ育っていきます。農林水産省もGI登録産品の特徴として、濃い赤褐色と、適度な酸味、うま味、苦渋味を挙げています。

これは単に、

「長く置けばおいしくなる」

という話ではありません。

豆麹、塩、水分、木桶、石積み、蔵の微生物、季節、時間。

それぞれが関わりながら味をつくっていきます。


八丁味噌は「石でつくる味噌」ではなかった

ここまで旅をしてくると、最初に見た「3トンの石」の意味も少し違って見えてきます。

八丁味噌の秘密は、

石だけではありません。

大豆を蒸す。

↓

大豆をつぶして大きな味噌玉をつくる。

↓

麹菌を育てて豆麹にする。

↓

水分を抑えて木桶へ仕込む。

↓

職人が石を積む。

↓

夏と冬を二度ずつ越える。

↓

八丁味噌へ。

すべてがつながっています。

つまり八丁味噌は、

味噌玉 → 豆麹 → 低水分 → 木桶 → 石積み → 二夏二冬

という、一つの発酵システムとして見ると、とても分かりやすいのです。

どれか一つだけを取り出しても、八丁味噌の面白さは見えてきません。


麹屋から見た八丁味噌

私たち鈴木こうじ店も、長年、米麹、麦麹、豆麹をつくってきました。

だから八丁味噌を見ていて、どうしても目がいくのは「味噌」になる前。

つまり、

麹づくりです。

米を麹にする。

麦を麹にする。

そして、大豆を麹にする。

日本人は、土地や食文化に合わせてさまざまな穀物に麹菌を育て、それぞれの味噌をつくってきました。

八丁味噌ではさらに、

大豆を麹にするために、大豆の形まで変えた。

そして、その豆麹を低水分で仕込み、木桶へ入れ、石を積み、季節に委ねる。

麹屋から見ると八丁味噌は、

「大豆と麹菌と時間を、どう付き合わせるか」

を何百年も考えてきた味噌の一つなのだと思います。


八丁味噌が、愛知の食卓へ

こうして生まれた濃厚な豆味噌は、やがて愛知の食文化にも深く根づいていきました。

味噌煮込みうどん。

味噌おでん。

味噌田楽。

煮味噌。

そして味噌カツ。

農林水産省の郷土料理資料にも、豆味噌文化が現在まで愛知の日常に根づき、さまざまな味噌料理へ広がってきたことが紹介されています。

味噌は、蔵の中だけで完成するものではありません。

その土地の料理に使われ、人々が食べ続けることで「食文化」になる。

八丁味噌もまた、その代表例なのでしょう。


「八丁味噌」という名前について、もう一つ

ここは現在の八丁味噌を知るうえで、大切なので少し補足しておきます。

「八丁味噌」という名称は現在、国の地理的表示(GI)保護制度に登録されています。

GI登録上の生産地は愛知県です。登録生産者団体も現在は複数記載されています。

一方で、今回の旅で中心に見てきたのは、

岡崎城から西へ八丁――八丁村、現在の八丁町を起点として受け継がれてきた味噌づくり。

制度上の現在の定義と、八丁という土地に根ざした歴史的な物語。

この二つを区別しておくと、「八丁味噌」という味噌がより立体的に見えてきます。


味噌の旅は、まだまだ続く。

静岡の相白味噌から東海道を西へ。

三河で豆味噌に出会い、

豆麹とは何かを考え、

そして岡崎・八丁で、大きな味噌玉と木桶、石積み、二夏二冬に出会いました。

同じ大豆。

同じ麹菌。

同じ「味噌」という食べ物。

それなのに土地が変われば、

つくり方も、時間も、味も変わる。

だから日本の味噌は面白い。

そして東海道の旅は、さらに西へ向かいます。

三河を離れ、その先で待っているのは――

米麹をたっぷり使い、短い熟成で仕上げる、甘く白い味噌。

豆麹だけで長い時間をかけてつくる八丁味噌とは、まるで反対の世界です。

次回、

第17話 関西白味噌

~なぜ白味噌は、白くて甘いのか?~

人が旅をすると、味噌のつくり方も旅をする。

次は、三河からさらに西へ。

また新しい味噌の世界を訪ねてみましょう。😊


鈴木こうじ店

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