第13話 江戸甘味噌 ~なぜ江戸では「赤いのに甘い味噌」が生まれたのか?~
【第3章 江戸から静岡へ】
第13話 江戸甘味噌
~なぜ江戸では「赤いのに甘い味噌」が生まれたのか?~

信州をあとにして、味噌の旅は山を下ります。
山々に囲まれた信州では、米、大豆、水、そして山を越えて運ばれてきた塩が味噌文化を支えていました。
ところが、関東平野へ入ると景色が変わります。
広い平野。
大きな川。
行き交う船。
街道を歩く人々。
そして、その先に待っているのが――
江戸。
今回から全国味噌マップの旅は、
「山国の味噌」から「大都市の味噌」へ。
舞台を移します。
徳川家康、江戸へ

1590年。
徳川家康は江戸城へ入ります。
そして1603年、江戸幕府が開かれました。
もちろん、家康が来るまで関東平野が何もない土地だったわけではありません。
それ以前から人々の暮らしがあり、農業があり、町がありました。
しかし家康の江戸入府以降、城下町の整備、街道、水路、水運、新田開発などが大規模に進められ、江戸は巨大な都市へ成長していきます。
東京都の歴史資料では、1721年の江戸の人口は約130万人とされています。
100万人を超える人が暮らす町。
当然、毎日ものすごい量の食べ物が必要になります。
米。
野菜。
魚。
酒。
醤油。
そして――
味噌。
ここから今回の味噌の旅が始まります。
花ちゃん、江戸で不思議な味噌を見つける

江戸の味噌屋さんをのぞいた花ちゃん。
桶の中には、つやつやした濃い赤褐色の味噌。
ひとなめして――
「えっ!?
赤いのに……甘い!」
そうなんです。
これが、
江戸甘味噌。
農林水産省でも江戸甘味噌は、赤色系の甘味噌として紹介されています。米麹を多く使い、濃厚な甘味と赤褐色の色合いを持つ、とても個性的な味噌です。
ここで今回の「なぜ?」です。
なぜ江戸甘味噌は、「赤いのに甘い」のでしょう?
「赤い味噌=辛い味噌」ではない
これまで全国味噌マップでは、
津軽味噌。
仙台味噌。
会津味噌。
佐渡味噌。
など、赤色系の味噌を旅してきました。
比較的塩分が高く、長い時間をかけて熟成させるタイプも多くありました。
そのため、
赤味噌=長期熟成=辛口
という印象を持つ人もいるかもしれません。
ところが江戸甘味噌は、その常識をひっくり返します。
甘い。
しかも、
短期熟成。
では、どうして赤いのでしょう?
その答えは、味噌を仕込んだ「あと」ではなく――
仕込む「前」にありました。
江戸甘味噌の秘密「留釜」
江戸甘味噌を調べていて、麹屋として特に興味をひかれたのが、
留釜(とめがま)

という昔の大豆処理です。
普通なら、大豆を蒸し上げたら釜から取り出し、潰して、米麹や塩と合わせて仕込みへ進みます。
ところが昔の江戸甘味噌では、蒸した大豆をすぐ取り出しません。
蒸した大豆を釜の中に留め、長時間保温し、ときには再加熱しながら大豆の色を変化させていきました。
全国味噌工業協同組合連合会の資料にも、江戸甘味噌では蒸熟した大豆を留釜し、色や香りをつくる伝統的な工程が紹介されています。
⏰ 蒸して終わりではなかった
1968年の『日本醸造協会雑誌』には、昔の江戸甘味噌の製法について、さらに興味深い記録があります。
大量の大豆を強く蒸したあと、弱い蒸気で長時間蒸し、さらに翌朝まで留釜する方法。
また、朝と晩に加熱する「朝焚き・晩焚き」と呼ばれる方法なども記されています。
さらに濃い赤褐色を狙った製品では、より長い時間をかけて色や照りを出した製法も紹介されています。
つまり、
「蒸し上がったから大豆の準備は終了」
ではなかったのです。
蒸し上がってからも、
温度。
時間。
蒸気。
水分。
香り。
大豆の色。
職人はそれらを見ながら、大豆を仕上げていたのでしょう。
なぜ留釜すると、大豆が赤くなるの?
ここには食品化学があります。
大豆を加熱すると、大豆に含まれる糖とアミノ酸などの成分が反応して褐色化が進みます。
いわゆる、
メイラード反応(アミノ・カルボニル反応)
です。
江戸甘味噌では、蒸した大豆をさらに長時間高温状態に置くことで、この褐色化を積極的に進めました。
だから、
長期熟成だから赤いのではありません。
なんと、
仕込む前から、大豆を赤褐色にしていた。
ここが江戸甘味噌の面白いところです。
✨ 「色」だけではなく「照り」と「香り」
留釜が生み出したのは、赤い色だけではありません。
昔の技術資料には、
照り
そして、
独特の芳香
についても記録されています。
さらに興味深いのが、大豆を蒸している途中で出た液を再び大豆に利用する方法もあったこと。
現在なら排水として考えてしまいそうなものまで、昔の職人は味噌の色や照りをつくるために利用していました。
越中味噌を旅したときにも、大豆の煮汁を利用する味噌づくりが登場しました。
まったく同じ製法ではありません。
けれど、
「大豆から出たものを捨てず、味噌づくりに生かす」
という昔の発酵文化の知恵が、ここにも見えてきます。
「甘い」の秘密は、たっぷりの米麹
では、
江戸甘味噌はなぜ甘いのでしょう?
こちらの主役は、
米麹。
現在復刻されている江戸甘味噌の一例では、
麹歩合20歩。
大豆10に対して、米麹20。
つまり、大豆に対して約2倍の米麹を使います。
塩分は約5%、熟成は約2週間とされています。
ただし、ここは大切です。
昔からすべての江戸甘味噌が「20割麹・塩分5%」だったわけではありません。
古い醸造資料には、これとは異なる麹歩合の記録もあります。
したがって、この数字は、
現在確認できる復刻商品の一例
として考えます。
砂糖で甘くする味噌ではありません
米麹には、米のでんぷんを糖へ変えていく酵素があります。
だから米麹をたっぷり使う江戸甘味噌では、短期間でも濃厚な甘味が生まれます。
つまり、
砂糖を入れて甘くするのではなく、麹が甘さをつくる。
ここは、麹屋としてぜひ伝えたいところです。
赤さをつくる大豆。
甘さをつくる米麹。
この二つが合わさって、
「赤いのに甘い」
という江戸甘味噌が生まれます。
️ もう一つの技術「熱仕込」
江戸甘味噌には、留釜と並んでもう一つ興味深い技術があります。
熱仕込(あつじこみ)。
仕込み後、一般的な長期熟成味噌のように何か月も待つのではなく、比較的高い温度帯を利用して麹の酵素による糖化・分解を積極的に進めます。
現代の江戸甘味噌の製造解説でも、50℃前後を利用する製法が紹介されています。
つまり、
① 大豆を蒸す
↓
② 留釜で色・照り・香りをつくる
↓
③ 米麹と塩を合わせる
↓
④ 熱仕込で麹の酵素を働かせる
↓
⑤ 短期間で甘味噌へ
という流れです。
江戸甘味噌は、
「長い熟成時間」ではなく、「温度と時間」を巧みに使った味噌
ともいえそうです。
麹屋として「留釜」を見てみると……
江戸甘味噌を調べていて、私自身、とても興味深く感じたことがあります。
私たち鈴木こうじ店でも、
大豆は煮るのではなく、蒸して仕上げます。
しかし、蒸し上がった大豆を留釜のように長時間釜の中に置くことはありません。
普段の製造工程から考えると、
留釜はかなり手間のかかる仕事です。
蒸し上がったら終わりではない。
そこからさらに、
温度と時間を見ながら、
大豆を仕上げていく。
昔の味噌職人にとって、
経験の必要な仕事だったことが想像できます。
仕込みが始まる前から、職人の仕事は始まっていた。
留釜を知って、そんなことを感じました。
実は、鈴木こうじ店にも「短期熟成味噌」があります
そして、もう一つ。
江戸甘味噌を調べていて、私たちの店に代々伝わってきた味噌との共通点にも気づきました。
鈴木こうじ店には、
麹歩合12割。
そして、
2~3週間ほどの短期熟成
で販売している味噌があります。
江戸甘味噌とは配合も製法も違います。
留釜も行いません。
ですから、同じ味噌ではありません。
しかし、
蒸し大豆。
比較的多い米麹。
短期熟成。
という点を見ると、どこか通じるものがあります。
味噌というと、
「長く寝かせるほどいい」
と思われがちです。
しかし日本各地の味噌を調べていくと、それだけではないことが分かります。
麹の量。
塩。
水分。
大豆の処理。
温度。
そして時間。
それぞれをどう組み合わせるかによって、まったく違う味噌が生まれます。
️ なぜ、こんな味噌が江戸で育ったの?
ここで再び、江戸という町を見てみましょう。
江戸には、
全国から人が集まりました。
そして、
全国から食材も集まりました。
街道。
川。
水路。
江戸湾。
河岸。
船。
農林水産省も、江戸・東京の食文化が海や川、周辺農村、全国から集まる物資とともに発展したことを紹介しています。
塩分が低く、長期保存を目的としない甘味噌。
そのような味噌をつくって、比較的早く消費できる。
そこには、
巨大な消費地・江戸
という環境も関係していたと考えられます。
地方の農村で一年分の味噌を仕込む文化とは、少し違う世界が見えてきます。
江戸甘味噌は、都市の食文化の中で育った味噌。
そんな姿が浮かんできます。
⚠️ 「江戸味噌」と「江戸甘味噌」は同じなの?
ここで一つ、
今回調べていて重要だったことがあります。
「江戸甘味噌」を、
江戸の人々が毎日食べていた味噌すべて
と考えるのは少し注意が必要です。
特許庁の地域団体商標の紹介では、江戸甘味噌が江戸から東京にかけて広く愛された味噌として紹介されています。
一方、古い文献を調べて復刻を進めている「東京江戸味噌」では、
江戸味噌
と、
江戸甘味噌
を区別しています。
つまり、
江戸には一種類の味噌だけがあったわけではありません。
周辺地域から運ばれてきた味噌。
地方の味噌。
江戸でつくられた味噌。
そして、江戸甘味噌。
巨大都市だからこそ、
さまざまな味噌が集まる町でもあった。
と考えた方が自然です。
⚔️ 徳川家康が江戸甘味噌をつくった?
ここも区別しておきましょう。
徳川家康の江戸入府は、
江戸という巨大都市が形成されていく大きな転換点です。
しかし、
「家康が江戸甘味噌をつくらせた」
という確かな史料は、今回確認できませんでした。
ですから全国味噌マップでは、
家康 → 江戸の都市形成
そして、
都市の発展 → 江戸独特の食文化
その中で、
江戸甘味噌も育っていった
という流れで考えます。
歴史は、無理につなげない。
これも全国味噌マップで大切にしたいところです。
江戸甘味噌は、料理にも面白い

江戸甘味噌は、
普通の味噌汁だけでなく、
料理に使うと特徴がよく分かります。
濃厚な甘味。
赤褐色。
照り。
コク。
現在も、田楽、どじょう料理、川魚料理、鍋や煮込み料理などへの利用が紹介されています。
つまり、
「味噌汁に溶かす味噌」だけではなく、「味噌そのものを料理する味噌」。
ここは後に登場する、

関西の白味噌
とも比較してみたいところです。
どちらも甘味噌。
ところが、
京都は白。
江戸は赤。
同じ米麹をたっぷり使った甘味噌なのに、
なぜこんなに違うのでしょう。
全国味噌の旅には、
まだまだ「なぜ?」が残っています。
江戸甘味噌、一度姿を消す
江戸から東京へ。
江戸甘味噌は受け継がれていきました。
ところが戦時中、
米などの食料統制によって、米麹を多く使う甘味噌の製造は大きな影響を受けます。
江戸甘味噌も製造が途絶えました。
戦後には復活しますが、そのころ東京の味噌市場には全国各地の味噌が入るようになっていました。
ここで面白いことが起こります。
前回旅した、
信州味噌。
山国・信州から東京へ進出し、全国へ広がっていった味噌です。
一方、
東京の土地に根づいていた江戸甘味噌は、一度姿を消し、戦後に復活していきます。
信州味噌と江戸甘味噌の歴史が、東京で交差する。
全国味噌マップを続けてきたからこそ見えてくる、面白いつながりです。
️ 現代へ受け継がれる「江戸甘味噌」

現在、
「江戸甘味噌」
は東京都味噌工業協同組合を権利者とする地域団体商標として登録されています。
指定商品は、
「東京産の甘口みそ」。
一度途絶えかけた江戸の味噌文化が、現在は東京の地域ブランドとして受け継がれています。
全国味噌マップ No.12
江戸甘味噌
地域 東京都・旧江戸地域
種類 米味噌
分類 赤色系甘味噌
麹 米麹
色 赤褐色
味 濃厚な甘味
特徴 米麹を多く使用・低塩・短期熟成・照り・芳香
大豆処理 蒸熟。伝統的製法では「留釜」
麹歩合 現代復刻例では20歩
塩分 現代復刻例では約5%
熟成 短期型。現代復刻例では約2週間
料理 田楽・川魚料理・鍋・煮込み料理など
現在 地域団体商標「江戸甘味噌」
キーワード 江戸・米麹・留釜・熱仕込・赤褐色・甘味・短期熟成・都市
※麹歩合・塩分・熟成期間には製法や時代による違いがあります。「20歩・約5%・約2週間」は現在確認できる復刻例であり、歴史上すべての江戸甘味噌を表す固定値ではありません。
花ちゃん、江戸で分かったこと
花ちゃんが、
赤褐色の味噌を見ながら言います。
「赤い味噌って、長く熟成させた辛い味噌だと思ってた!」
そう。
全国を旅してきたからこそ、
その不思議が分かります。
江戸甘味噌は、
たっぷりの米麹。
少ない塩。
短い熟成。
そして、
留釜という大豆の処理。
赤さと甘さは、
別々の仕組みから生まれていました。
味噌は、色だけでは味が分からない。
これも、
日本の味噌の面白さです。
信州から江戸へ
信州では、
「味噌をつくる塩も、山を越えて旅をしていた。」
そして山を下り、
人と物が集まる巨大都市・江戸へ。
そこには、
山国とは違う味噌づくりがありました。
長い熟成時間だけに頼るのではなく、
大豆を蒸し、
留釜し、
米麹をたっぷり使い、
温度と時間を巧みに使う。
江戸の職人たちの知恵です。
今回の旅を、
この言葉で締めたいと思います。
「江戸の味噌は、都市と職人の技が育てた味噌だった。」
そして、
味噌の旅は江戸から西へ。
いよいよ次は――
静岡・相白味噌。

江戸甘味噌も、
高麹・短期熟成。
鈴木こうじ店に代々伝わる味噌にも、
12割麹・2~3週間という短期熟成の味噌があります。
そして静岡には、
淡い色と甘味を特徴とする、
相白味噌があります。
同じ米、大豆、塩、麹なのに、
なぜ江戸では赤褐色になり、
静岡では淡い色になったのでしょう?
次の旅では、
鈴木こうじ店の地元の味噌文化を訪ねます。
鈴木こうじ店
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