第11話 加賀味噌 ~城下町と米麹が育てた、北陸の赤味噌~

【第2章 日本海と山国の味噌】

第11話 加賀味噌

~城下町と米麹が育てた、北陸の赤味噌~

佐渡から越後へ。

越後から越中へ。

日本海を西へ西へと進んできた味噌の旅は、いよいよ加賀の国・石川県へ入ります。

目の前にそびえるのは、霊峰・白山。

山に降った雪は、春になると水となり、川を下り、加賀平野を潤します。

そして、その水が育てるものの一つが――

米。

越後も、越中も、加賀も米どころ。

当然、ここでも米から米麹がつくられ、味噌が仕込まれてきました。

ところが加賀味噌を調べていくと、越後や越中とは少し違う言葉が見えてきます。

それが、

「城下町」

そして、

「加賀百万石」

です。

今回の花ちゃんの「なぜ?」は――

「どうして城下町・金沢で、味噌づくりが盛んになったの?」

さあ、加賀味噌の旅を始めましょう。


️ 白山の水と加賀平野

石川県の南東部には、標高2,702mの白山があります。

白山を源とする手取川などの河川は、山から平野へ豊かな水を運び、加賀平野の農業を支えてきました。

石川県では現在も米づくりが盛んで、米は地域の食文化を考えるうえで欠かせない存在です。

山 → 雪 → 水 → 田んぼ → 米 → 米麹 → 味噌

前回の越中味噌でも見てきた流れが、ここ加賀にもあります。

しかし加賀には、もう一つ大きな条件がありました。

それは――

たくさんの人が暮らす、大きな城下町があったこと。


加賀百万石の城下町・金沢

天正11年(1583年)、前田利家が金沢城に入りました。

その後、前田家のもとで加賀藩は大藩となり、金沢は北陸を代表する城下町へ発展していきます。

加賀藩の領地は加賀だけでなく能登や越中にも広がり、いわゆる**「加賀百万石」**の文化が形成されました。

城下町には、

武士がいる。

商人がいる。

職人がいる。

寺院がある。

そして、たくさんの家族が暮らしている。

人が集まれば、毎日の食料が必要になります。

米。

野菜。

魚。

塩。

醤油。

そして――

味噌。

ここから、加賀味噌の物語が見えてきます。


加賀味噌は「保存食」として発達した

加賀味噌食品工業協業組合では、前田利家が金沢城へ入城して以降、加賀藩で軍用の貯蔵食品として味噌が盛んにつくられたことを、加賀味噌の歴史として紹介しています。

ただし、ここは少し注意が必要です。

前田利家が加賀味噌を発明したわけではありません。

味噌そのものは、それよりはるか以前から日本各地でつくられていました。

加賀で重要なのは、

藩と城下町の発展の中で、保存性のある味噌の生産も盛んになっていった。

ということです。

そして、とても興味深い名前が残っています。

「味噌蔵町」

藩政期の金沢には、味噌に関わる町として「味噌蔵町」があったと紹介されています。

味噌が家庭の桶の中だけにあるものではなく、

町でつくられ、町の人々へ供給される食品になっていった。

加賀味噌を考えるうえで、これは重要なポイントだと思います。


花ちゃんの「なぜ?」

花ちゃんが昔の金沢を歩いています。

「でも、どうして城下町に味噌蔵が必要だったの?」

味噌は毎日の味噌汁や料理に使えるだけでなく、塩を含み、発酵によって保存できる食品です。

武士の食事にも。

商人の食事にも。

職人の食事にも。

家庭の食事にも。

味噌は使われます。

だからこそ、

人が集まる町には、味噌をつくる人も必要だった。

「味噌蔵町」という名前からも、味噌が城下町の暮らしと深く関わっていたことがうかがえます。


加賀味噌は、どんな味噌?

加賀味噌は、

米麹を使った米味噌です。

伝統的な加賀味噌の特徴として挙げられるのが、

米麹を比較的多く使うこと。

そして、

時間をかけて熟成させること。

加賀味噌食品工業協業組合は、加賀みその特徴を、米麹を多く使い、長期間熟成させることで生まれる濃厚な味とコクとして紹介しています。

つまり、加賀味噌を一言で表すなら、

「米麹をしっかり使い、時間でコクを育てる味噌。」

と言えそうです。


米麹が多いのに、なぜ赤いの?

ここは麹屋として、とても面白いところです。

「米麹をたくさん使う」と聞くと、西京味噌のような白くて甘い味噌を想像する人もいるかもしれません。

ところが伝統的な加賀味噌は、

山吹色から赤系で、やや辛口。

長期熟成による旨味とコクを持つ味噌として紹介されています。

では、

なぜ赤くなるのでしょう。

味噌の色は、

麹歩合だけでは決まりません。

大豆の加熱方法。

麹歩合。

塩分。

水分。

熟成温度。

そして、

熟成時間。

こうした条件が複雑に関係しています。

熟成が進むと、大豆などに由来するアミノ酸と糖が関わる褐変反応も進み、味噌の色は次第に濃くなっていきます。

ですから、

「米麹が多い=白い味噌」ではない。

米麹を多く使いながら、

時間をかけて熟成させる。

そこに、

米麹の甘みと、熟成による旨味やコク。

加賀味噌らしい味わいが育っていくのです。


現在の加賀味噌を調べてみる

ここで、現在の加賀味噌を実際の数字から見てみましょう。

今回、いくつかの蔵元や商品を調べてみると、面白い違いが見えてきました。

加賀味噌食品工業協業組合の商品では、

十二割麹味噌 麹歩合12割・塩分11.5%

十割麹味噌 麹歩合10割・塩分13.0%

そして昔ながらの製法を意識した豆粒味噌は塩分13.5%・天然醸造・長期熟成とされています。

一方、ヤマト醤油味噌の「特選味噌」は、

10割麹・塩分12.3%・6か月以上熟成。

杉の木桶で仕込まれています。

ここから見えてくるのは、

昔ながらの方向

塩分高め

↓

長期熟成

↓

大豆の存在感と深いコク

そして、

現代的な方向

米麹を多くする

↓

塩分をやや抑える

↓

米麹の甘みや香りを生かす

という二つの姿です。

もちろん、蔵元や商品によって違います。

でも、

加賀味噌も時代とともに変化している。

これは、とても大切なポイントです。

「暮らしが変われば、味噌も変わる。」

全国の味噌を旅していると、何度もこの言葉に出会います。


10割麹と12割麹

ここで「麹歩合」を少し復習しておきましょう。

大豆1kgに対して、

米麹1kgなら、

10割麹。

米麹1.2kgなら、

12割麹。

前回の越中味噌でも、

12割麹の商品が登場しました。

そして加賀へ来ても、

また10割、12割という数字に出会いました。

北陸の米どころを旅していると、

米麹をしっかり使う味噌文化

が繰り返し姿を現します。

ただし、

「北陸の味噌はすべて12割麹」

という意味ではありません。

時代、地域、蔵元、商品によって配合はさまざまです。

そこもまた、

味噌の面白さです。


昔ながらの「豆粒味噌」

さらに興味深いのが、

加賀味噌食品工業協業組合の豆粒味噌です。

大豆の粒を残し、天然醸造で長期間熟成させるタイプで、同組合では加賀百万石の時代の製法を再現した味噌として紹介しています。

現代の味噌は、

なめらか。

明るい色。

食べやすい。

そうした方向の商品も増えています。

しかし、

粒を残し、

塩分を高め、

時間をかけて熟成する味噌を見ると、

昔の加賀味噌が、

今とは少し違う姿だったことが想像できます。

味噌は伝統食品ですが、

決して、

「昔からずっと同じもの」

ではないのです。


ちょっと寄り道

金沢の発酵文化を支えた「港」

ここで少し、

城下町の外へ出てみましょう。

金沢の海側には、

大野という町があります。

現在も醤油蔵が集まる、北陸を代表する醸造の町です。

農林水産省によると、大野では江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常の命を受けた直江屋伊兵衛が紀州湯浅で醤油の醸造法を学び、その技術を広めたと伝えられています。

港がある。

船が来る。

原料が運ばれる。

水がある。

大きな消費地・金沢が近い。

そして、

発酵を担う職人がいる。

こうした条件が重なり、大野の醤油醸造は発展していきました。

もちろん、

大野醤油の歴史=加賀味噌の起源

ではありません。

そこは分けて考える必要があります。

でも、

味噌も醤油も、

大豆・麹・塩・水を使う発酵文化。

加賀の発酵文化を眺めると、

田んぼだけでも、

味噌蔵だけでもなく、

町・港・人・物流までがつながっていた

ことが見えてきます。


加賀の暮らしの味「めった汁」

加賀百万石と聞くと、

華やかな加賀料理を思い浮かべます。

でも、

今回ぜひ紹介したいのは、

もっと身近な家庭料理。

めった汁

です。

さつまいも。

大根。

人参。

ごぼう。

豚肉。

たくさんの具材を入れてつくる、石川県の具だくさんの汁物です。

農林水産省によると、石川県全域で食べられ、特徴の一つはじゃがいもではなく、さつまいもを使うこと。名前については「やたらめったら具を入れる」など複数の由来説があります。

根菜の甘み。

豚肉の旨味。

そして、

味噌のコク。

こういう料理を見ると、

味噌はやっぱり、

特別な日の調味料というより、

「暮らしの中にあるもの」

なのだと思います。


‍ 麹屋から見た「加賀味噌」

今回、加賀味噌を調べながら、

私が一番面白いと思ったのは、

「赤味噌」という色ではありませんでした。

それは、

米麹と時間の関係。

米どころだから、

米から麹をつくる。

その米麹を、

しっかり使う。

そして、

すぐに食べるのではなく、

じっくり待つ。

米麹の甘み。

大豆の旨味。

熟成による香り。

それらを、

時間が一つにまとめていく。

越後味噌では、

「麹が見える味噌」

を知りました。

越中味噌では、

「水も味噌の材料だった」

ことを知りました。

そして加賀味噌では、

「時間も、味噌をつくる材料だった。」

そんな言葉が似合います。


全国味噌マップ No.10

加賀味噌

地域 石川県・金沢を中心とする加賀地方

種類 米味噌

麹 米麹

色 伝統的には山吹色~赤系

味 米の甘みを含みながら、伝統的にはやや辛口

麹歩合 米麹を多く使う傾向。現在は10割・12割の商品例あり

熟成 長期熟成を特徴とするタイプがあり、現在は6か月以上の商品例もある

土地 白山・加賀平野・金沢城下町

歴史 加賀藩時代、軍用の貯蔵食品として味噌づくりが盛んになったと伝わる

町 城下に「味噌蔵町」があったとされる

食文化 めった汁・加賀料理

キーワード 米・米麹・城下町・保存食・熟成・コク・時間

※加賀味噌は、時代・地域・蔵元・商品によって、麹歩合・塩分・水分・色・熟成期間が異なります。


鈴木こうじ店がおすすめする加賀味噌

今回、現在の加賀の蔵元まで調べてみて、

鈴木こうじ店で家庭向けに再現するなら、

私は10割麹を基本にしたいと思います。

材料の目安

乾燥大豆 1kg

生米麹 1kg

塩 500g前後

麹歩合は、

10割麹。

大豆をしっかり蒸す、または煮て、

米麹と塩を合わせ、

ややしっかりした味噌に仕込みます。

そして、

急がず、

約1年を目安に熟成。

色の変化。

香りの変化。

旨味の変化。

季節を越えながら、

味噌が変わっていく様子を楽しみます。

これは昔の加賀味噌の配合をそのまま再現したものではありません。

現在の加賀味噌の10割麹という特徴を参考に、

鈴木こうじ店が家庭で仕込みやすい形にした提案です。

※実際の塩分濃度は、煮上がった大豆の重量や生麹の水分によって変わるため、「塩500g=○%」とは単純には決まりません。


花ちゃん、金沢の町を歩く

金沢城。

古い町家。

味噌蔵。

醤油蔵。

そして、

町の向こうには白山。

花ちゃんが言いました。

「味噌って、田んぼだけでできるんじゃないんだね。」

そうなんです。

米をつくる人。

大豆をつくる人。

麹をつくる人。

味噌を仕込む人。

運ぶ人。

売る人。

そして、

食べる人。

人が集まり、

町ができると、

食文化も育っていく。

今回の旅で見えてきたのは、

「城下町も、味噌を育てていた。」

ということでした。

そして、

もう一つ。

米が育ち、麹が生まれ、時間が味噌を育てる。

これが、

今回の加賀味噌の旅で見つけた答えです。


日本海の味噌を振り返ってみると……

佐渡では、

「人が海を渡ると、味噌も旅をする。」

越後では、

「麹が見える味噌。」

越中では、

「麹と水の知恵が残る味噌。」

そして加賀では、

「城下町と時間が育てた味噌。」

同じ日本海側。

同じ米味噌。

それなのに、

土地が変われば、

味噌の物語も変わります。

だから、

日本の味噌は面白い。


次回、第12話へ

日本海を西へ進んできた旅は、

ここで少し方向を変えます。

次は山を越え、

海のない国へ。

向かうのは――

信州。

現在、日本を代表する味噌産地の一つとなった長野県。

でも、

ここでも当然、

「なぜ?」があります。

なぜ、海のない信州が、日本有数の味噌産地になったのでしょう?

次回、

第12話 信州味噌

山国が育てた味噌の秘密を探しに行きましょう。

日本の味噌を、もう一度旅してみよう。


鈴木こうじ店

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