村に一軒あったこうじ屋のお話
~ 地名や屋号に残る発酵文化の足あと ~
こんにちは、麹屋を始めて35年の前店主です。今は息子夫婦がお店を切り盛りしてくれていますが、私はお味噌作り教室を通じて、日々発酵の楽しさを伝えています。今日は、教室でも大人気の「こうじ屋の歴史」を、少しお話しさせてください。
① 地名や屋号に残る「こうじ屋」の記憶
みなさんは「麹町(こうじまち)」という地名を聞いたことがありますか?
今では東京の中心にある町ですが、その名前には昔の発酵文化がしっかりと残っています。
江戸時代、このあたりには幕府のために麹を作る職人が集まり、味噌や甘酒、醤油のもとになる麹を作っていました。
つまり「麹町」は、麹づくりの職人が暮らしていた町だったんですね。
地方へ行くと、今でも「麹屋(こうじや)」という屋号のお家があったり、大きな味噌蔵が残っていたりします。
昔はどの村にも一軒はこうじ屋があって、地域の食を支えていたんですよ。
② 農業が主な仕事のひと昔前は各家庭で麹を作っていた
冷蔵庫もない時代。
味噌や甘酒、醤油、どぶろくを作るために、多くの家庭で麹づくりが行われていました。
でも麹づくりはとても繊細で、温度や湿度の管理が難しいんです。
ちょっとしたことで失敗してしまうこともあります。
そこで「麹づくりは任せよう」と、専門の職人が生まれました。
それがこうじ屋の始まりです。

③ 室町時代に生まれたこうじ屋
京都では室町時代ごろから、麹を専門に作る職人たちが現れました。
当時の麹はとても貴重で、発酵食品には欠かせない存在でした。
「麹座(こうじざ)」という職人の組合もあり、麹づくりは立派な専門職として発展していきます。
④ 江戸時代、こうじ屋は町のインフラだった
江戸時代になると、味噌や甘酒が広まり、麹の需要もぐんと増えました。
こうじ屋は麹を売るだけでなく、
・味噌づくりの相談
・発酵の知恵を伝える
・地域の食文化を支える
そんな役割も担っていました。
今でいうと、地域の発酵アドバイザーのような存在ですね。
⑤ 鈴木こうじ店もその歴史の中に
鈴木こうじ店も創業百五十余年。
代々受け継がれてきた麹づくりを続けています。
蒸米を作り、
麹菌をまき、
温度を見ながら、
じっくり麹を育てる。
道具は少しずつ変わっても、麹を育てるという本質は昔も今も変わりません。
⑥ こうじ屋は発酵文化の守り人
味噌
醤油
甘酒
塩こうじ
しょうゆこうじ
ぬか床
これらはすべて麹の力から生まれています。
こうじ屋は麹を売るだけではなく、日本の発酵文化を未来へつないでいく「守り人」でもあるんです。

【まとめ】
地名に残る麹町。
屋号として残るこうじ屋。
そして今も続く麹づくり。
私たちが当たり前のように食べている味噌や醤油の裏には、長い歴史をつないできたこうじ屋の存在があります。
昔、村に一軒あったこうじ屋のように。
発酵のある暮らしは、そんな先人たちの知恵に支えられているんですよ。


